教員免許を持っているわたしがデザイナーになった理由と、ママになってからデザイナーになる夢を叶えた話

教員免許を持っているわたしがデザイナーになった理由と、ママになってからデザイナーになる夢を叶えた話

2021/10/17

※2019年10月29日に公開した記事です。
はじめまして。神戸でデザイナーをしております、くにかたと申します。
Webデザイナーをしているアラサー(29歳)、3歳の娘ちゃんのママです。三重県出身、神戸市在住。神戸には大学のときからずっと住んでいます。
大学では教育学部で教育を学んでおり、中学・高校の数学の教員免許を持っています。そんなわたしがデザイナーになったのは26歳、ママになってから。 note初投稿なので、自己紹介もかねてわたしがデザイナーになった理由と経緯を書いてみようと思います。

19-21歳:デザイナーになりたいと思った原体験

大学で学生向けに配布するフリーペーパーを作成するサークルに所属していました。新入生向けに部活・サークルの情報を掲載するのがメインで、あとはサークルのメンバーが自由に企画した誌面も掲載していました。私はお気に入りのカフェをストーリー調に紹介する企画を紙面にしましたが、中にはイノシシを追いかけて(神戸には野生のイノシシが日常に現れる)、そのレポを誌面にするという個性的なメンバーもいました笑
このサークルでは2年間活動していましたが、1年目は誌面の制作はしていませんでした。というのも、デザインにはセンスが必要で、選ばれし人にしかできないと思っていたから。絵やイラストが書けないわたしには無理だなって。
でも、誌面制作をしていた先輩に教えてもらったある本を読んだら、デザインはセンスではなく視覚心理や人間工学、ロジックやルールに基づいているということが書いてあって、わたしにもできるかも!って一気にデザインへのハードルが下がりました。わたしがいまデザインする上で大切にしている、「秩序やルールが感じられる」という考え方もこの本が原体験だったように思います。
それをきっかけに誌面制作を始めた2年目。いちばんやりがいがあったのは4店舗を掲載したカフェの広告ページでした。この広告ページは掲載店舗のオーナーさん、営業のメンバー、多くの人の想いを届けられたと思ったから。 「誰かの想いという見えないものを形にできる」デザインの魅力を知った経験でした。
同じ頃、中学校への教育実習に行きましたが、まわりの学生がワードやパワポで授業用のプリントを作成している中、わたしはというとイラレでプリントを作っていました。これに関しては、誰よりも整っているわかりやすいものを作れた自信がある。指導教員や子どもたちにプリントがわかりやすかった、と言ってもらえたことは嬉しかった。

22歳-23歳:人材サービス会社での経験

そんなデザインに魅せられる経験をしてデザインを仕事にしたいと思っていたものの、就活で広告系・デザイン系の企業は全落ち。教育事業も展開している人材サービス会社で営業事務をしていました。
新規事業を始めることになったとき、大学のときに情報誌をつくっていた話を上司にすると、その事業のチラシを作ってよ、ということになり。 そこからパンフレットやサイトのバナー、サービスのロゴなんかもデザインさせてもらえるようになりました。
どんな褒め言葉よりも「イメージ通り」と言われることがいちばん嬉しかったです。この頃から言われた通り、ではなく思った通り、を大切にしてデザインすることを意識していたように思います。
デザインの仕事は業務の中のほんの一部でしたが、どんな仕事よりもわたしにとって楽しくて、やっぱりデザインを仕事にしたい!と強く思うようになりました。
その頃結婚することになり、結婚を機に会社をやめて、デザイナーになることを決意。


24-25歳:Webスクールとスタバ店員

会社を辞めてすぐWebスクールに通いWebデザインを学び始めました。デザインもコーディングも一通り学びました。
同時にスターバックスで働き始めました。その理由は2つ。 1つめは、単純にスターバックスが好きだから。もう1つは、デザインするにあたって、相手の意図を汲み取る力が大切だと感じていたから。 スタバの店員さんって気遣いがうまくて、言わずともお客様の要望を察するのが上手な人が多いと感じていたので、わたしもそうなりたい、思いを察する力を磨きたいと思ったんです。
店舗がリニューアルする機会があり、神戸市内の全店でお客様に配布するフライヤーコンペが開催されました。神戸の全店舗参加、各店舗1案を提出。わたしが作成したデザインは選ばれなかったのですが、当時の店長が気に入ってくださり、わたしの働いていた店舗でのみ配布されることになりました。自分の作ったフライヤーを直接お客様に渡せることは貴重で、また嬉しい経験でもありました。
Webスクール、スタバ店員を始めて1年半がたったころ、アパレル系企業のインハウスのアシスタントデザイナーとして働き始めましたが、ほどなくして妊娠。体調のこともあり、半年ほどで退職することになりました。

26歳:制作会社に就職

出産後、しばらく育児に専念。次にわたしの頭を悩ませたのは「保育園に入れるのか問題」。東京に比べれば状況は何倍もよいけれども、神戸市も待機児童は少なくない。区役所に話を聞きに行くと、正社員の育休でなく求職中にあてはまるわたしは、「0歳は入れるけれど、1歳以降はほとんど枠がなく厳しい」とのこと。もしいま保育園に入らなければわたしが娘が3歳(幼稚園に入園できる歳)になるまで働くことはできない・・・それは避けたい。
4月から働くことを見据えてポートフォリオを作成し始めました。題材に選んだのは、ランサーズのWebデザイン案件のコンペ形式。架空の店舗や会社を想定して作るのもいいけれど、どうせなら生きた課題を、と。娘が寝ている時間に作品をつくりました。週1案あるかないかくらいのペースだったと思います。最終的に14案件コンペに参加して、選ばれたのは1件でした。
1月に制作会社の求人をみつけ、ランサーズの作品をポートフォリオとして応募しました。するとその会社の社長が作品を評価してくださり、面接に行き、あとはトントン拍子に話が進みました。本当の意味でデザイナーとして仕事をするようになったのはこのときです。
26歳からデザイナーとして働き始めて2年半、今に至ります。

まとめ

わたしは大学で専門的にデザインを学んできたわけではないし、デザイナーになったのはママになってから。でも、叶えるために行動し続けて線路を引いていけば、どんな状況であっても夢は叶えることができるんじゃないかなって思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。 これまでの実績を乗せたポートフォリオサイトをぜひご覧ください。

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